「あの会社との取引について、どう考えていますか?」
「あの外交問題、どう思いますか?」
こう聞かれて、すぐに答えられるだろうか。もちろん、本当に詳しく知っているなら答えればいい。でも、よく考えてみると、私たちが日常的に尋ねられることの中には、そんなに簡単に答えが出せないものも多い。
「ちょっと分かりません」
「今ある情報だけでは判断できません」
本当は、それでいいはずだ。ところが、なぜか私たちは、何か答えを出そうとする。十分な情報がなくても、とりあえず「Aだと思います」と言ってみる。場合によっては、自分でも確信のない説明まで付け加えてしまう。なぜ私たちは、そこまでして答えを出したがるのだろうか。
このような課題について、ネガティブケイパビリティ(答えのない状態を耐える能力)の欠如という考え方が近年紹介されている。もちろん、ネガティブケイパビリティは大切である。ですが、今日はその原因がそれ以外にもあるという話をしたいと思います。
1. 外から迫られる「結論の圧力」
まず最も分かりやすいのが、外からの圧力です。
・上司から「で、結論は何?」と問い詰められる
・顧客からのクレームで回答を急がれている
現代社会は、「分からない」と言い続けることをなかなか許してくれません。「答えを出さない勇気を持とう」などと言われますが、本当に勇気が必要なのは「答えを出さないこと」そのものよりも、「答えを出せ」と迫ってくる周囲の圧力に抗うことなのかもしれません。
2. 内から湧き出る「優位に立ちたい欲求」
さらに厄介なのは、圧力が外からだけではない点です。私たちの内側からも、答えを作りたくなる欲求が生まれることがあります。
「これは要するに、AがBだからだよ」
そう言えた瞬間、私たちは少しだけ相手より上の立場に立った気がしてしまいます。「自分は賢い人間だ」と思われたい。あるいは、自分でそう思いたい。
つまり、外からの圧力だけでなく、自分自身の承認欲求や優越欲求が、私たちに安易な答えを作らせてしまうことがあるのです。
3. 長年かけて刷り込まれた「学校教育の型」
圧力や優越感に加え、もう一つ根深いものがあります。それは、私たちが学校教育の中で何千回と繰り返してきた「型」です。ここが、私たちのネガティブ・ケイパビリティの不足と深く関係している部分です。
学校では基本的に、問題には答えがあり、それを考えて答案に書くことが求められます。
回答に何も書かなければ零点になります。一方で、よくわからなくても、考えたことを書くことで評価される場面もあります。
こうした経験を何度も重ねることで、私たちは知らず知らずのうちに、「考えたら、何らかの答えを出して表現するものだ」という型を身につけていきます。
誤解のないように言えば、学校で「答えを出す能力」を鍛えること自体は、とても大切です。問題を分析し、必要な情報を集め、検証し、結論を出す。こうした能力は、現実の問題を解決するうえでも欠かせません。
ただ、現実の問題は、学校のテストほど単純ではありません。
現実には、一つの問題の中に「分かる部分」と「まだ分からない部分」が同時に存在することが多いからです。
分かるところは積極的に解決する。
仮説を立てられるところでは、仮説を立てて検証する。
一方で、現時点ではどうしても判断できないところは、無理に答えで埋めない。
そして、「この部分を判断するには、何を調べればいいのか」と考える。
つまり、現実の問題では、すべてに結論を出すことが重要なのではなく、どこまでなら分かるのか、どこから先はまだ分からないのかを区別することも重要なのです。
「答えを出す型」へのカウンター
こうして整理してみると、「人が答えを急ぐのは、思慮が足りないから」という単純な話ではないことが分かります。
・外からの「結論」の圧力
・内からの「優位に立ちたい」欲求
・長年かけて身についた「答案を埋める」習慣
これらはいずれも人を答えへと向かわせますが、その性質はそれぞれ違います。
上司から「今日中に結論を出せ」と迫られているのであれば、それは職場や組織の問題です。
「AはBだからだ」と断定してマウントを取りたいのであれば、それは優越欲求や傲慢さの問題でしょう。
どちらも、ネガティブ・ケイパビリティがないから起きる、と考える必要はありません。
一方、三つ目については、ネガティブ・ケイパビリティが「答えを出す型」へのカウンターになります。
「ネガティブケイパビリティ」は「思考停止」ではない
ここで重要なのは、答えを保留することは、考えることをやめることではないということです。
むしろ、考えることは続けられます。
例えば、
「現時点ではAという仮説が有力だが、Bの可能性もある。では、両者を確かめるには何が必要だろうか」
と考える。そして、そのような暫定的な見解を、自分の意見として示すこともできます。
分かることは調べる。
仮説を立てられるところでは、仮説を立てる。
検証できるものは検証する。
そのうえで、それでも判断できない部分については、
「ここから先は、まだ分からない」
と残しておく。
さらに、
「では、これを判断できるようにするには、次に何を調べればいいのか」
と考える。
これが、現実の問題に向き合うときの重要な姿勢ではないでしょうか。
仮説は、暫定的な答えとして持っていて構いません。
大切なのは、それを確定した答えに変えてしまわないことです。
分かるところは積極的に考える。
分からないところは無理に埋めない。
そして、分からないところを分かるようにするために、さらに考える。
「分からない」と言いながら、考え続けることはできる。
答えを確定させないまま、思考を止めない。
それが、ネガティブ・ケイパビリティと単なる思考停止の違いです。
「答えを急がせる力」とネガティブ・ケイパビリティ
外からの結論の圧力と内からの優位に立ちたい欲求を原因とした答えを急ぐ場合とネガティブケイパビリティの違いをもう少し詳しく見ていきたいと思います。
例えば、医師が診断の難しい患者を前にして、
「現時点では確定できない」
と分かっている。それでも、「早く診断をつけなければ」という自分自身の焦りから、無理に診断名をつけてしまうなら、そこには「不確実な状態を早く終わらせたい」という問題があります。
一方で、大病院の方針として、
「今日中に診断を出せ。出さないなら辞めてもらう」
と迫られているなら、話は違います。医師自身は「まだ診断できない」と分かっているかもしれない。それでも組織の圧力によって、診断を出さざるを得ない。
これは、ネガティブ・ケイパビリティの欠如というより、組織からの強制の問題です。
同じように、
「AはBだからだよ」
と断定してマウントを取りたい人も、必ずしも「不確実性に耐えられない人」なのではありません。「本当はそこまで分からない」と分かっていても、相手より上に立ちたいから断定することがあります。それなら問題の中心は、ネガティブ・ケイパビリティではなく、自分の優越欲求や傲慢さでしょう。
このように考えると、「ネガティブ・ケイパビリティがない」という言葉だけでは、人がなぜ答えを急ぐのかを十分に説明できません。
「答えを急がせる力」に気づく
ここまで見てきたように、私たちが分からないことまで答えようとしてしまう理由は、単純に「ネガティブ・ケイパビリティがないから」ではありません。
大きく分ければ、
・外から結論を迫られる。
・自分が優位に立ちたくなる。
・「考えたら答えを出す」という習慣が身についている。
こうした力が、私たちを答えへと急がせています。
だから、何かについて「どう思いますか?」と聞かれたときには、答えを出す前に、一度だけ立ち止まってみてもいいのかもしれません。
「あ、いま自分は結論を迫られているな」
「格好をつけたくて、知ったような答えを作ろうとしているな」
「問題には必ず答えがあると思い込んでいないだろうか」
自分を答えへと急がせているものが分かれば、その対処も変わってきます。
外から急かされているなら、必要なのは「分かりません」と言うことだけではありません。「現時点ではここまでしか判断できません。残りを判断するには、○○の情報が必要です」と、分かっていることと分からないことを分けて示す。
優位に立ちたい気持ちから断定しそうになっているなら、「本当にそう言い切れるのか」と、自分の欲求と事実を切り分ける。
そして、「考えたら必ず答えを出す」という習慣に引っ張られているなら、「ここまでは分かる。しかし、ここから先はまだ分からない」と、答えを保留する。
つまり、必要なのは単純に「答えを出さないこと」ではありません。なぜ自分はいま答えを出そうとしているのかを見極め、その理由に応じて対応することです。だから、「ネガティブ・ケイパビリティが足りない」と決めつけるだけでは、問題の本質を見誤るのではないでしょうか。人は、分からないから答えを急ぐとは限らない。答えを急がせるものがあるから、答えを急ぐ。そのことに気づくことが、まず最初の一歩なのだと思います。